2019年7月31日水曜日

創世記 23章 15節

 御主人、お聞きください。あの土地は銀四百シェケルのものです。それがあなたとわたしの間で、どれほどのことでしょう。早速、亡くなられた方を葬ってください。」
 “My lord, listen to me: a piece of land worth four hundred shekels of silver, what is that between you and me? Bury your dead.”

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 「どれほどのことでしょう」というのは少し分かりにくい。
 新改訳では「何ほどのこともないでしょう」

 「ではご主人。私の言うことを聞いてください。銀四百シェケルの土地、それなら私とあなたとの間では、何ほどのこともないでしょう。どうぞ、なくなられた方を葬ってください。」(新改訳)

 KJVは相変わらず謎めいている。
 My lord, hearken unto me: the land is worth four hundred shekels of silver; what is that betwixt me and thee? bury therefore thy dead.


 あと、亡くなった人の遺体の表現方法について。
 ここでは「なくなられた方」=「your dead」で、
 別のところでは「亡くなった妻」=「my dead」
 英語の所有格表現は日本語の感覚とはかなり異なるようだ。

2019年7月30日火曜日

創世記 22章 11節

 そのとき、天から主の御使いが、「アブラハム、アブラハム」と呼びかけた。彼が、「はい」と答えると、
 But the angel of the LORD called to him from heaven and said, “Abraham, Abraham!” And he said, “Here I am.”

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 ここでは、「Here I am」が「はい」となっている。
 この章7節では、「Here I am, my son」が「ここにいる。わたしの子よ」だったのに。
 相手によって丁寧度が異なるのかな。

 ちなみに、新改訳は「何だ。イサク。(7節)」と「はい。ここにおります。(11節)」
 息子に対して随分ぶっきらぼうね。

 KJVは「Here am I, my son」と「Here am I」
 “I”と“am”がひっくり返ってる…。

2019年7月29日月曜日

創世記 21章 24節

 アブラハムは答えた。「よろしい、誓いましょう。」
 And Abraham said, “I will swear.”

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 「よろしい」って何か偉そうだけど、英文でもそんな雰囲気あるのかな。
 もっと友好的な態度というのものがあるのじゃないか。

 “するとアブラハムは、「私は誓います。」と言った。”(新改訳)

 翻訳の言葉選びは、意味だけじゃなくて雰囲気も考えないといけないから難しいのだと思う。

創世記 21章 16節

 「わたしは子供が死ぬのを見るのは忍びない」と言って、矢の届くほど離れ、子供の方を向いて座り込んだ。彼女は子供の方を向いて座ると、声をあげて泣いた。
 Then she went and sat down opposite him a good way off, about the distance of a bowshot, for she said, “Let me not look on the death of the child.” And as she sat opposite him, she lifted up her voice and wept.

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 「矢の届くほど離れ」
 「about the distance of a bowshot」
 言いたいことはわかるけど、あまり良い日本語ではないような気がするなあ。
 新改訳も「矢の届くほど離れた向こうに行ってすわった」となっている。

2019年7月28日日曜日

創世記 20章 12節

 事実、彼女は、わたしの妹でもあるのです。わたしの父の娘ですが、母の娘ではないのです。それで、わたしの妻となったのです。
 Besides, she is indeed my sister, the daughter of my father though not the daughter of my mother, and she became my wife.

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 11章27節から記載されている「テラの系図」と照らし合わせてみる。
 11章31節では、
「息子アブラムの妻で自分の嫁であるサライ」
「Sarai his daughter-in-law, his son Abram's wife」

 今回の20章12節の記載からすると、
  1. テラは、女Aとの間にアブラムをもうけた。
  2. 続いて、テラは女Bとの間にサライをもうけた。
  3. アブラムはサライを妻とした。
 という順番のはずだけど。

 11章日本語版の謎:テラはサライを嫁にしたのか?
 11章英語版の謎:サライはテラの実の娘のはずなのに、なぜ「daughter-in-law」なのか…

 謎は深まるばかり。
 きっと研究者は丁寧な家系図を書いているんだろうけど、訳本ごとに食い違った表現をそのままにしておいて良いのだろうか。

2019年7月26日金曜日

創世記 19章 24節

 主はソドムとゴモラの上に天から、主のもとから硫黄の火を降らせ、
 Then the LORD rained on Sodom and Gomorrah sulfur and fire from the LORD out of heaven.

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 「硫黄の火」と「sulfur and fire」
 日本語版では、“硫黄と火”ではなくて、“硫黄の火”
 細かいようだけど、色んな二次創作で使われるシーンだから、原典に近い表現を知っておきたいような気もする。

 その他、この章は他につっこみたいところが多いけれど、あまり触れないでおきます。

創世記 18章 6節

 アブラハムは急いで天幕に戻り、サラのところに来て言った。「早く、上等の小麦粉を三セアほどこねて、パン菓子をこしらえなさい。」
 And Abraham went quickly into the tent to Sarah and said, “Quick! Three seahs of fine flour! Knead it, and make cakes.”

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 英文では感嘆符を使うらしい。びっくり!

2019年7月25日木曜日

創世記 17章 17,18節

17 アブラハムはひれ伏した。しかし笑って、ひそかに言った。「百歳の男に子供が生まれるだろうか。九十歳のサラに子供が産めるだろうか。」
18 アブラハムは神に言った。「どうか、イシュマエルが御前に生き永らえますように。」

17 Then Abraham fell on his face and laughed and said to himself, “Shall a child be born to a man who is a hundred years old? Shall Sarah, who is ninety years old, bear a child?”
18 And Abraham said to God, “Oh that Ishmael might live before you!”

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 「しかし笑って」と「and laughed」は少し雰囲気が違うと思う。
 この“and”は“but”の雰囲気を含んでいるものなのだろうか。

 その後、「ひそかに言った」ということになってるけど、ESVでは「said to himself」

 「and laughed, and said in his heart,」(KJV)
 「そして笑ったが、心の中で言った。」(新改訳)

 どうも、アブラハムは口に出して発言してなさそうな気がする。笑ってはいるみたいだけど。

創世記 16章 8節

 言った。「サライの女奴隷ハガルよ。あなたはどこから来て、どこへ行こうとしているのか。」「女主人サライのもとから逃げているところです」と答えると、
 And he said, “Hagar, servant of Sarai, where have you come from and where are you going?” She said, “I am fleeing from my mistress Sarai.”

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 日本語版は節の切り方がたまに不自然になってしまうけど、それはしかたない。

 「何処から来て何処へ」というのはよく聞くフレーズだけど、このあたりが元ネタ的なものなのだろうか。(聖書より古い元ネタというのはそうそう無いと思うけど)

 ゴーギャンの絵画は、
我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか
Where Do We Come From? What Are We? Where Are We Going?

 英語圏に浸透している言い回しはどんなものかと気になってKJVを確認してみたら…

 And he said, Hagar, Sarai's maid, whence camest thou? and whither wilt thou go? And she said, I flee from the face of my mistress Sarai.

 なんじゃこれは…。ラテン語かと思った。

2019年7月24日水曜日

創世記 15章 6節

 アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。
 And he believed the LORD, and he counted it to him as righteousness.

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 英語版の主語heが分かりにくいと思う。
 英語では主語がコロコロと反転するのかな?

 And he believed in the LORD; and he counted it to him for righteousness.(KJV)

2019年7月23日火曜日

創世記 14章 1-3節

1 シンアルの王アムラフェル、エラサルの王アルヨク、エラムの王ケドルラオメル、ゴイムの王ティドアルが、
2 ソドムの王ベラ、ゴモラの王ビルシャ、アドマの王シンアブ、ツェボイムの王シェムエベル、ベラ、すなわちツォアルの王と戦ったとき、
3 これら五人の王は皆、シディムの谷、すなわち塩の海で同盟を結んだ。

1 In the days of Amraphel king of Shinar, Arioch king of Ellasar, Chedorlaomer king of Elam, and Tidal king of Goiim,
2 these kings made war with Bera king of Sodom, Birsha king of Gomorrah, Shinab king of Admah, Shemeber king of Zeboiim, and the king of Bela (that is, Zoar).
3 And all these joined forces in the Valley of Siddim (that is, the Salt Sea).

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 「ベラ、すなわちツォアルの王」=「the king of Bela (that is, Zoar)」
 これは逆になってないかな?

 「これら五人の王は皆」=「And all these joined」
 日本語版では“5人”と明示してくれるのが親切。
 それが無いと反対側4人の王が主語であるように読んでしまう気がする。
 
 こうも殆どの章に日英版で違いが見つかると、何が正しいのかもはやわからないという気になるけれど…。

2019年7月22日月曜日

創世記 13章 16節

 あなたの子孫を大地の砂粒のようにする。大地の砂粒が数えきれないように、あなたの子孫も数えきれないであろう。
 I will make your offspring as the dust of the earth, so that if one can count the dust of the earth, your offspring also can be counted.

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「大地の砂粒が数えきれないように、あなたの子孫も数えきれないであろう」
「if one can count the dust of the earth, your offspring also can be counted」

 1. 〜できないように、〜もできない。
 2. 〜することが万一できたなら、〜もできる。

 同じ意味だけど表現が違って面白い。
 二番目の書き方の方が大げさ強調という感じで文学的かな。

創世記 13章 9節

 あなたの前には幾らでも土地があるのだから、ここで別れようではないか。あなたが左に行くなら、わたしは右に行こう。あなたが右に行くなら、わたしは左に行こう。」
 Is not the whole land before you? Separate yourself from me. If you take the left hand, then I will go to the right, or if you take the right hand, then I will go to the left.”

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「ここで別れようではないか」
「Separate yourself from me」

 提案するような言い方と、命令するような言い方の違いがある。
 命令形といっても、英語圏の人たちには受け取り方が違うのだろうか。

2019年7月21日日曜日

創世記 12章 15節

 ファラオの家臣たちも彼女を見て、ファラオに彼女のことを褒めたので、サライはファラオの宮廷に召し入れられた。
 And when the princes of Pharaoh saw her, they praised her to Pharaoh. And the woman was taken into Pharaoh's house.

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 “the princes of Pharaoh” = 「ファラオの家臣たち」?
 なんか違和感を感じる。

 ちなみに、新改訳では「パロの高官たち」となっていた。
 パロとファラオではこれまた大違いだけど…

2019年7月20日土曜日

創世記 11章 31節

 テラは、息子アブラムと、ハランの息子で自分の孫であるロト、および息子アブラムの妻で自分の嫁であるサライを連れて、カルデアのウルを出発し、カナン地方に向かった。彼らはハランまで来ると、そこにとどまった。
 Terah took Abram his son and Lot the son of Haran, his grandson, and Sarai his daughter-in-law, his son Abram's wife, and they went forth together from Ur of the Chaldeans to go into the land of Canaan, but when they came to Haran, they settled there.

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 「息子アブラムの妻で自分の嫁であるサライ」
 「Sarai his daughter-in-law, his son Abram's wife」

 日本語と英語で違うように思う。

 参考のために、
「息子のアブラムの妻である嫁のサライ」(新改訳)
「Sarai his daughter in law, his son Abram's wife」(KJV)

 人名や地名でカタカナの羅列に嫌気が差すけど、家系図や地図を丁寧に整理したらとても需要があると思う。

創世記 10章 8,9節

8 クシュにはまた、ニムロドが生まれた。ニムロドは地上で最初の勇士となった。
9 彼は、主の御前に勇敢な狩人であり、「主の御前に勇敢な狩人ニムロドのようだ」という言い方がある。

8 Cush fathered Nimrod; he was the first on earth to be a mighty man.
9 He was a mighty hunter before the LORD. Therefore it is said, “Like Nimrod a mighty hunter before the LORD.”

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 という言い方がある、とのこと。
 文章に違和感を感じたら、参考のため新改訳に出てきてもらう…

8 クシュはニムロデを生んだ。ニムロデは地上で最初の権力者となった。
9 彼は主のおかげで、力ある猟師になったので、「主のおかげで、力ある猟師ニムロデのようだ。」と言われるようになった。

 この怪しい繰り返し表現はきっとヘブライ語特有の文法表現とか言葉遊びとかのせいだと思うので、今回は欽定訳聖書(KJV)にも出てきてもらう…

8 And Cush begat Nimrod: he began to be a mighty one in the earth.
9 He was a mighty hunter before the LORD: wherefore it is said, Even as Nimrod the mighty hunter before the LORD.

 誰か勇敢な人を褒め称える時に「Nimrodのようだ」と言うのでしょう、きっと。
 知らないけど。
 というか、begatとか、whereforeとか、これがKJVの愛される古風な表現というわけですか…
 これはどうにも無理ですね。

 さらにこれまた別の話だけど、KJVの
「he began to be a mighty one in the earth」
という表現を見て、その昔、マトリックスの主人公ネオが「the one」=「救世主」と訳されていたのにすごく違和感を感じたのを思い出しました。多分、意味合いが違うと思うんですよねえ、アレ。
 ここの「one」とは違うモノかもしれないけど、「勇者」とか「力ある者」とか、なんかこう他の言葉を選べなかったんですかねえ。
 これは完全に蛇足。

2019年7月19日金曜日

創世記 10章 14節

 上エジプト人、カスルヒム人、カフトル人が生まれた。このカフトル人からペリシテ人が出た。
 Pathrusim, Casluhim (from whom the Philistines came), and Caphtorim.

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 日本語では、ペリシテ人はカフトル人から出ている。
 英語では、カスルヒム人から出ているような気がする。

(KJV)
And Pathrusim, and Casluhim, (out of whom came Philistim,) and Caphtorim.

(新改訳)
パテロス人、カスルヒム人――これからペリシテ人が出た――、カフトル人を生んだ。

 新共同訳だけ、何かが違う。

2019年7月18日木曜日

創世記 9章 16節

 雲の中に虹が現れると、わたしはそれを見て、神と地上のすべての生き物、すべて肉なるものとの間に立てた永遠の契約に心を留める。」
 When the bow is in the clouds, I will see it and remember the everlasting covenant between God and every living creature of all flesh that is on the earth.”

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 思い出すきっかけを用意するとは、神も物忘れがあるということでしょうか。

 あまり余計な事は言わないほうがいいけど、最近、人工知能は未だ「忘れる」という機能を充分に実装できていないから過去の学習に引きずられるとか何とか、という記事を読んだ。
 人工知能は(比喩的な意味で)神の領域に達するか、という興味があると思うけど、神は物忘れをするらしいということ、そして、その対策を立てているらしいということを見て、何か示唆に富むなあと思ったり思わなかったり。

創世記 8章 22節

 地の続くかぎり、種蒔きも刈り入れも
 寒さも暑さも、夏も冬も
 昼も夜も、やむことはない。」

 While the earth remains, seedtime and harvest, cold and heat, summer and winter, day and night, shall not cease.”

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 日本語版では改行が入っている。
 (英語版で入っていないのは印刷の都合かもしれないけど)
 実に詩的な箇所だと思う。

2019年7月17日水曜日

創世記 7章 11節

 ノアの生涯の第六百年、第二の月の十七日、この日、大いなる深淵の源がことごとく裂け、天の窓が開かれた。
 In the six hundredth year of Noah's life, in the second month, on the seventeenth day of the month, on that day all the fountains of the great deep burst forth, and the windows of the heavens were opened.

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大いなる深淵の源がことごとく裂け、天の窓が開かれた
all the fountains of the great deep burst forth, and the windows of the heavens were opened

実に文学的…
こんな文章絶対書けない

2019年7月16日火曜日

創世記 6章 16節

 箱舟に明かり取りを造り、上から一アンマにして、それを仕上げなさい。箱舟の側面には戸口を造りなさい。また、一階と二階と三階を造りなさい。
 Make a roof for the ark, and finish it to a cubit above, and set the door of the ark in its side. Make it with lower, second, and third decks.

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 「明かり取り」=  a roof
 こんな日本語わからないでしょう…と思ったけど、

 日本語の新改訳版では
 “箱舟に天窓を作り、上部から一キュビト以内にそれを仕上げなさい。また、箱舟の戸口をその側面に設け、一階と二階と三階にそれを作りなさい。”

 ヘブライ語ではなんと書いてあるかわからないけど、屋根には明かりを取る窓がついているのが正解かもしれない。英語圏の人たちは「a roof」だけで天窓付きを想像するものなのだろうか。
 並べてみると、新共同訳では1,2,3階に戸口をつくる記載が漏れているようにも見える。

2019年7月15日月曜日

創世記 5章 3節

 アダムは百三十歳になったとき、自分に似た、自分にかたどった男の子をもうけた。アダムはその子をセトと名付けた。
 When Adam had lived 130 years, he fathered a son in his own likeness, after his image, and named him Seth.

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 「自分にかたどった男の子」というのは、アダムが意図して形を決めたのだろうか。アダムは人よりも神に近い存在なのかな。
 英語圏の人は「fathered」という動詞からどういう印象を受けているのだろう。

創世記 4章 11節

 今、お前は呪われる者となった。お前が流した弟の血を、口を開けて飲み込んだ土よりもなお、呪われる。
 And now you are cursed from the ground, which has opened its mouth to receive your brother's blood from your hand.

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「土よりもなお、呪われる」とあるけど、比較級なのかな?
“you are cursed from the ground”
英文だと「土から呪われる」という感じに思うけど。

2019年7月14日日曜日

創世記 3章 19節

お前は顔に汗を流してパンを得る
土に返るときまで。
お前がそこから取られた土に。
塵にすぎないお前は塵に返る。」

By the sweat of your face
  you shall eat bread,
till you return to the ground,
  for out of it you were taken;
for you are dust,
  and to dust you shall return.”

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改行の意味は不明だけど、とても詩的で面白い文章

2019年7月13日土曜日

創世記 2章 19節

 主なる神は、野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を土で形づくり、人のところへ持って来て、人がそれぞれをどう呼ぶか見ておられた。人が呼ぶと、それはすべて、生き物の名となった。
 Now out of the ground the LORD God had formed every beast of the field and every bird of the heavens and brought them to the man to see what he would call them. And whatever the man called every living creature, that was its name.

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 神に似せて造られた人間は、まだこの頃はかなり神に似た存在で、発する言葉が物事を実現する力を持っているということなんですかね。

 まあ、あまり物語の内容に踏み込んでも知識がないと答えが出てこないので、ほどほどにしておきましょう。

創世記 1章 16節

 神は二つの大きな光る物と星を造り、大きな方に昼を治めさせ、小さな方に夜を治めさせられた。
 And God made the two great lights—the greater light to rule the day and the lesser light to rule the night—and the stars.

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 このブログで見ている和文と英文は、どちらか一方からもう一方へ訳したという関係には無いので、比較のしかたにはある程度注意しないといけないけど、この文章はカッコ書きのある文章の和訳について参考になるかしれないなと思いました。

 ちなみに、「新共同訳」と「ESV」の旧約は、どちらも「Biblia Hebraica Stuttgartensia」を訳したものということです。

 底本の記載が気になることも少しはありますが、それじゃあヘブライ語を学んでみましょう、ということにはさすがにならないですね、たいていは。

2019年7月12日金曜日

聖書の通読はじめました


 聖書は旧約・新約あわせて1189章から構成されているので、1日2章ずつ読んでいくと、1年半ちょっとで通読できるそうです。

 最近、ダイグロットバイブルを手に入れたので、日本語と英語で通読してみようと思います。
 日本語は新共同訳、英語はEnglish Standard Version (ESV)です。

 宗教的な内容に触れると色々とアレだと思うので、そこらへんはあまり触れず、日英両言語の雰囲気の違いについて注目していこうと思ってます。

 英語の勉強ですね。
 あと、2000年前の人たちが何を気にして生きていたのか、勉強になるかもしれません。

 続けられるかな。